PR

湊伸治の現在!!家族と生い立ち:女子高生コンクリ殺人事件後の再犯での逮捕まで

女子高生コンクリート詰め殺人事件

1989年に発生した「女子高生コンクリート詰め殺人事件」は、社会に大きな衝撃を与えた悲惨な事件でした。

そして、当時未成年として報道された”少年C”こと湊伸治は、その後の人生においても波乱が続きました。

 

2018年8月、45歳となった彼は殺人未遂事件を起こし、再び世間の注目を浴びることとなります。

本記事では、湊伸治の生い立ちや事件の詳細、家族や結婚生活など、現在に至るまでの彼の人生を詳しく掘り下げていきます。

 

女子高生コンクリート詰め殺人事件

1988年11月25日、湊は宮野裕史と共に、ひったくりや女性への暴行を計画し、原付バイクで埼玉県三郷市内を徘徊していました。

そこでアルバイト帰りの女子高生を見つけ、宮野の指示で少女を転倒させ、倉庫に連れ込みました。

 

宮野は少女を脅迫し、ホテルに連れ込んで強姦しました。

その後、宮野は湊に電話をかけ、少女を湊の自宅に監禁することを提案しました。

 

湊は宮野や他の少年たちと共に、少女を約40日間にわたって監禁し、暴行や拷問を加えました。

少女は外傷性ショックで死亡し、彼らは遺体をコンクリートで固めて東京湾に遺棄しました。

 

この事件は、その残虐性から「女子高生コンクリート詰め殺人事件」として知られ、日本犯罪史上に残る凶悪事件となりました。

 

湊伸治の事件後の人生

湊は事件当時未成年であったため、少年法により保護観察処分となりました。

しかし、彼は更生することなく、事件後も犯罪を繰り返したと言われています。

 

2018年8月19日、46歳となっていた湊は、殺人未遂事件を起こし、逮捕されました。

この事件では、湊が知人男性をナイフで刺し、重傷を負わせたことが明らかになっています。

 

湊伸治の生い立ち

湊伸治は、埼玉県川口市東内野の出身で、家族は父親、母親、兄の4人家族でした。

 

彼の生家は、事件後に取り壊されましたが、JR常磐線綾瀬駅から北へ15分ほどの住宅街に位置していました。

約100平方メートルの敷地に建てられた3DKの家で、事件を起こす13年前に足立区内から引っ越してきたとされています。

 

湊の家族は共産党員の一家であったと言われています。

父親は共産党の活動家で、母親も共産党の活動に理解を示していたようです。

兄も政治的な活動に関わっていたかどうかは定かではありませんが、家族全体が共産党と何らかの関わりを持っていたと考えられています。

 

湊は、”足立の学習院”と呼ばれる名門中学校の出身で、都内で唯一の化学専門工業学校に進学していました。

しかし、事件当時は高校を中退し、無職の状態でした。

 

湊の実家は、事件当時、不良仲間のたまり場となっていたようです。

主犯格の宮野裕史をはじめとする少年たちが集まり、被害者の女子高生を監禁し、残忍な行為を行っていた場所が、湊の家族が暮らす普通の一軒家だったのです。

 

この事件は、湊の家族の人生にも大きな影響を与えたことでしょう。

事件後、家族がどのような生活を送ったのか、詳細は不明ですが、事件現場が実家であったという事実は、家族にとって重い十字架となったに違いありません。

 

湊伸治の家族について

湊伸治の家族は、共産党員として政治活動に携わっていました。

彼の両親は、共に共産党員であり、父親は共産党系診療所の事務局長、母親は主任看護師として働いていました。

共産党員としての活動は、家庭にも影響を与えていたと考えられます。

 

湊には1歳年上の兄がおり、事件当時17歳でした。

兄は、犯行メンバーの小倉譲と中学時代の同級生でした。

この兄も、父親の厳しい教育方針のもとで育ったと思われます。

 

湊の父親は非常にスパルタな教育者で、家庭内のルールを厳しく守らせていました。

ルールを破ると、母親が父親に報告し、湊は寝ていてもたたき起こされて暴力を伴う説教を受けるという厳しい環境で育ちました。

 

父親の暴力から逃れようとしても、追いかけられて殴られ、時には深夜に公園まで連れて行かれて走らされることもあったようです。

父親は酒癖が悪く、毎晩のように酒を飲んで帰宅していたと湊と兄は証言しています。

 

彼らは、「週1回は必ず殴られていた。ゾッとするほど怖かった」と事件時の弁護士に語っています。

この証言から、湊の家庭が父親の厳しい支配下にあり、暴力的な環境であったことが伺えます。

 

凶悪事件を起こした加害者の家庭環境が複雑で、親からの虐待やネグレクトなどを経験しているケースは少なくありません。

湊の家庭も、父親の異常なまでの厳しさや暴力が、子供たちに大きな影響を与えていた可能性があります。

 

湊伸治宅での監禁が可能だった理由

湊伸治が自宅で少女を約40日間も監禁できた理由は、彼の家庭環境に大きく関係しています。

 

湊の父親は、日本共産党機関紙「赤旗」の配達や集金に忙しく、家庭を顧みる余裕がなかったようです。

父親が家庭に不在がちであったことが、監禁の継続を容易にした一因と考えられます。

 

湊の母親は、少女の存在に気づいていました。

一度、少女を逃がそうと試みたものの、湊から1時間にも及ぶ暴行を受け、それ以降は見て見ぬふりをせざるを得なかったとされています。

母親もまた、家庭内の暴力や異常な状況に耐えていたことが伺えます。

 

湊の兄も、少女の監禁の一部始終を知りながら、見て見ぬふりをしていました。

兄は、監禁されている少女に食事を運ぶなど、事件に加担する行動を取っていました。

 

湊の家庭は、父親の不在、母親の無力化、兄の加担など、異常な状況にありました。

家庭内の問題や暴力が、事件を阻止するどころか、逆に助長してしまったと言えるでしょう。

 

家庭環境が健全で、家族の絆が強固であれば、このような残忍な事件は防げたかもしれません。

この事件は、家庭の在り方や家族の役割についても考えさせられる事例となっています。

 

湊伸治と家族のその後

湊伸治の家族は、事件後に自宅を離れ、他所に引っ越しました。

その後、事件現場となった自宅は取り壊されました。

 

湊の父親は、2016年12月に病気で他界したことが父親の姉の証言によって明らかになっています。

しかし、母親と兄の現在の消息は不明です。

 

事件当時、湊の兄は未成年でした。

その後、兄は独り立ちし、両親とは別居していると考えられます。

1999年頃には、両親はさいたま市内の一軒家を借りて住んでいたようですが、その後の動向は分かっていません。

 

湊の家族は、事件によって大きな苦しみと社会的な非難を背負うことになりました。

父親の他界や家族の消息不明など、事件後の家族の人生も平穏ではなかったことが伺えます。

 

この事件は、加害者だけでなく、その家族にも重い十字架を背負わせるものとなり、社会全体に深い傷跡を残しました。

 

湊伸治の出所後と私生活

湊伸治は、少年法により保護観察処分となり、事件から数年後に出所しました。

出所後、彼はしばらく両親と一緒に暮らしていたようですが、その後、埼玉県内の1Kのアパートで一人暮らしを始めました。

 

湊は運送業の仕事に就き、真面目に働いていたと言われています。

 

しかし、1年ほどでアパートを引き払い、都内にあるジムでムエタイの練習に打ち込むようになりました。

彼はプロのライセンスを取得し、試合に出場しましたが、2戦連続で敗退し、周囲に「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の犯人だと気づかれ始めたため、ジムを去りました。

 

「彼がウチのジムにいたのは、97年にジムを起ち上げてまだ間もない頃。半年くらいしてプロ資格を取り、2試合くらいやっていずれも負けた記憶があります。仕事はトラックの運転手か何かをやっていて、徐々に自分の過去がジムの仲間にバレていき、居づらくなってフェイドアウトしたようです」(ジムの経営者)

引用:デイリー新潮 – 新聞が報じない少年法の敗北! またも逮捕「綾瀬コンクリ殺人」元少年 鬼畜を育んだ共産党員一家のその後

 

 

その後、湊は東京都大田区南蒲田のアパートで10年ほど生活していましたが、2018年6月頃に川口市内のアパートに引っ越し、同世代と思われる女性と同棲していました。

 

部屋を借りる際、彼は「通販の仕事をしている」と嘘をついていたようですが、逮捕時は無職でした。そのため、彼は女性のヒモのような生活をしていた可能性があります。

 

湊は、同棲相手の女性と出会う前に結婚していたという噂もあります。

しかし、結婚や家族に関する詳細な情報は公にされておらず、彼の私生活は謎に包まれています。

 

湊伸治は、事件後の人生で様々な職業や生活環境を経験したようですが、事件の影響は常に付きまとい、安定した生活を送ることは難しかったのかもしれません。

 

湊伸治の騒音問題と転居

湊伸治は、東京のアパートに住んでいた頃、度々騒音トラブルを起こしていました。

同棲相手の女性との口論や物を叩きつける音などで、他の住民から迷惑がられていたようです。

 

アパートの住人によると、夜間に怒鳴り声や物音が聞こえ、火災報知器が鳴るトラブルも何度もあったとのことです。

 

防犯カメラが設置されるほど問題視されていた湊は、更新月を待たずに管理会社に退去を申請し、川口市内のアパートに引っ越しました。

しかし、転居先でも同様の騒音問題を起こし、周囲に迷惑をかけていたようです。

 

「このアパートは騒音トラブルが多い。夜、男女が口論する声、特に男性の怒鳴り声や何かを叩きつける音がしたことが何度もありました」(住人の一人)
今年に入ってからは、火災報知器がなるトラブルが幾度もあり、さらに、「夜中にアパートの部屋の窓ガラスが割られたらしく、管理会社の方から『防犯カメラを設置します。警察とも相談中です』との連絡をもらいました」(別の住人)
             引用:デイリー新潮 – 新聞が報じない少年法の敗北! またも逮捕「綾瀬コンクリ殺人」元少年 鬼畜を育んだ共産党員一家のその後

 

これらの証言は、出所後の湊が定住せず、ストレスを抱えた生活を送っていたことを示唆しています。

事件後の社会的な非難や偏見、職や人間関係の不安定さなどが、彼の生活に影を落としていたのかもしれません。

 

湊は、事件後の人生で落ち着いた生活環境を得ることが難しかったと考えられ、その不安定さが周囲とのトラブルにつながっていた可能性があります。

 

湊伸治の結婚と娘について

湊伸治の結婚や家族に関する情報は、公にされておらず、様々な噂や憶測が存在します。

湊がルーマニア人女性と結婚していたという情報がありますが、確かな証拠はありません。

 

また、娘が1人いるという話も噂の域を出ません。

2018年の殺人未遂事件での逮捕時には、湊は「独身の無職」と報じられており、結婚していたとしても離婚した可能性があります。

 

湊に娘がいるという噂は、多くの人々に衝撃を与え、娘が可哀想だと考える人も少なくないでしょう。

しかし、これらの情報は未確認であり、憶測の域を出ません。

 

湊伸治の私生活や家族関係は、事件後の社会復帰や更生を考える上で重要な要素ですが、彼の人生は謎に包まれており、正確な情報を得ることは困難な状況です。

 

湊伸治の殺人未遂事件と逮捕

湊伸治は45歳のときに、2018年8月19日、埼玉県川口市で32歳の男性をナイフで刺したとして、殺人未遂容疑で逮捕されました。

 

事件当日の夕方頃、湊は車を運転していた男性Aさんと目が合い、睨み合ったとされています。

Aさんが車を止めて窓を開け、「何見てんだよ」と声をかけると、湊は近づいてきて顔面を殴りました。

助手席の後輩が車を降りて湊ともみ合いになりAさんが湊を引き離そうとした瞬間、湊は警棒を取り出し、Aさんの肩を殴りました。

 

Aさんは身の危険を感じ、後輩に逃げるよう促し、車を発進させようとしましたが湊は窓から手を伸ばし、刃渡り8センチの折りたたみナイフでAさんの後頸部を刺しました。

 

この事件により、湊は殺人未遂容疑で逮捕され、2019年3月にさいたま地裁で裁判が始まりました。

裁判で湊は坊主頭に上下紺色のジャージ姿で現れ、裁判官に食ってかかるなど、事件当時と本質的に変わっていない様子を伺わせました。

 

湊伸治は、事件から30年近く経つ今も、暴力的な衝動や反社会的行動を改めることができなかったようです。

事件後の更生や社会復帰への道のりは険しく、彼の人生は事件によって大きく歪められてしまったと言えるでしょう。

 

⇩湊伸治と裁判官のやり取り

湊被告 「医者が言ってるんだったら、それは捏造だと思う!」
裁判官 「『ナイフによる攻撃は首には当たってない、仮に傷があるとすればそれは医師の捏造だ』とあなたは主張するんですか?」
湊被告 「医師というより、警察!」
裁判官 「初公判の法廷では『右肩は殴ってない、その他に間違いはない』と言っていたけど、今の話は違うわけね?」
湊被告 「いやそれは理由あるわけ! 結果だけ求めないで!」
裁判官 「なんで主張が変わったのかは後で十分聞くから。あのね、あなたとこうしてやり取りすること、イレギュラーなんです。直接あなたから裁判官に言われても、気持ちが先に立ってて主張を整理できないんです。法律のプロである弁護士がついてるんだから、ちゃんと打ち合わせて、その上で主張を出してほしいんですよ。今のあなたの言い分、弁護士と打ち合わせてください。あなたにとっても利益じゃないですよ!」

引用:FRIDAY DIGITAL – 女子高生コンクリ殺人 元少年が傷害事件の公判で裁判官に噛みつく

 

湊伸治の裁判において、彼の態度や口答えが多すぎるために裁判官が困り果てているという状況は、更生の難しさや社会復帰への道のりの険しさを物語っています。

 

湊伸治の報道と少年法への議論

湊伸治が「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の加害者”少年C”であることは、事件当時から広く知られていました。

しかし、マスコミが彼の実名や顔写真を報じなかったため、ネット上で炎上騒ぎが起きました。

 

少年法では、少年の健全な育成と更生を促すため、事件や裁判の報道において、実名や顔写真の公表を制限しています。

しかし、湊の事件はあまりにも残忍で社会的影響が大きかったため、彼のプライバシーよりも事件の重大性や社会への影響を考慮すべきだという意見が噴出したのです。

 

湊以外の同事件の犯人たちも、出所後に犯罪を繰り返していると言われています。

このような状況から、少年法による保護観察処分が適切な更生につながっていないのではないか、少年法を見直すべきではないかという議論が起きています。

 

少年法は、少年の健全な育成と社会復帰を支援する重要な法律ですが、その運用には慎重さが求められます。

特に、凶悪犯罪の加害者に対する処遇や更生プログラムの在り方は、社会全体で議論されるべき課題です。

 

少年法を盾に未成年者に犯罪を犯させる反社会的勢力の存在も指摘されており、少年法の見直しや少年犯罪の再発防止策が求められています。

 

【女子高生コンクリ殺人事件】湊伸治に関するまとめ

  • 1988年、湊伸治は「女子高生コンクリート詰め殺人事件」を起こし、約40日間にわたって少女を監禁・暴行し、死亡させた。
  • 事件当時、湊は未成年で”少年C”と呼ばれた。
  • 2018年、46歳となった湊は、殺人未遂事件を起こし、逮捕された。
  • 湊の生い立ち: 埼玉県川口市生まれ、共産党員の両親と兄の4人家族。
  • 事件現場は、湊の家族が住む一軒家だった。
  • 湊の父親はスパルタで暴力的、母親と兄は事件に気づきながらも見て見ぬふりをした。
  • 事件後、湊の家族は自宅を離れ、父親は2016年に他界。母親と兄の消息は不明。
  • 出所後、湊は運送業の仕事をしていたが、ムエタイのプロ選手としても活動していた時期がある。
  • 湊は東京や川口市でアパート暮らしをしていたが、騒音問題を起こし、転居を繰り返した。
  • 湊はルーマニア人女性と結婚し、娘が1人いるという噂があるが、確かな情報はない。
  • 2018年の殺人未遂事件で、湊は32歳の男性をナイフで刺し、逮捕された。
  • 裁判で湊は反省の色を見せず、更生の難しさが浮き彫りになった。
  • マスコミが湊の実名報道を控えたため、少年法への議論が起きた。
  • 少年法の見直しや少年犯罪の再発防止策が求められている。

コメント

error:
タイトルとURLをコピーしました